小石川大正住宅について

 

ごあいさつ

 

 「小石川大正住宅」は、東京ドーム・文京シビックセンターの北側に位置する築100年を超える古民家。関東大震災、東京大空襲、そして、東日本大震災も経験しました。

 

 奇跡的に残ったこの住宅を今後も大切に残していきたく、平成27年耐震補強も兼ねて改築し、どこかなつかしさを感じる古民家として再生することができました。都心にあって開放感のある木造の住宅で、暖かさとくつろぎのひとときを過ごしていただければ幸いです。

 

新しくなっていくこの街で、「小石川大正住宅」がなつかしい風景のひとつとして末永く残していけたらと、希望しております。

  

令和 5年 1月吉日

 小石川大正住宅

                      


末長く残しておきたい ・・・

 

地区再開発により周囲は高層建築物が立ち上がりました。冬場の日照は望めませんが、夏場は木陰の涼しさがあります。平成27年に耐震補強も兼ねて改装、古民家再生後、和風撮影スタジオや個展など少人数向けのレンタルスペースとしてもご利用いただいています。新しくなっていくこの街で末永く残していけたらと希望しております。

 

仕舞屋風の木造建物のご紹介

 左の写真にある仕舞屋(しもたや)風の木造建物は、現在、「小石川大正住宅」と名づけられています。
 

 その名の通り、文京区小石川(かのコンニャク閻魔=源覚寺付近)のやや奥まった場所にあり、近年再開発が凄い勢いで進んでいる小石川界隈にあって、見事なエアポケット地帯となっています。この家屋、最近、リニューアルされたもので、綺麗な外観となっていますが、大正初期築の、純粋な木造建築物なのです。特に内部の(特に二階部分)は、凝った木の窓枠に透明な窓硝子とネジ式の鍵、南向きの廊下(縁側)、床の間…。それは、昭和前期までの木造民家のお約束…。それらが建てられた当時のままの形で、文京区小石川に現存しているわけです。

 

 東京といっても、私などが記憶している戦後の下町にあった木造家屋とはまた違い、チープさが全く感じられない。やはり、何といっても〈山手風〉っぽいのだな。そして、昭和20年空襲を辛うじて免れた界隈にあって、約30年ほど前までは数多く残存していた木造民家も、かのバブル期には地上げの巷となって、今や現存する民家は、この一軒だけとのことです。界隈のかつての町名は「小石川初音町」。小石川では低地にあり、千川のどぶ川も流れていた辺りです。漱石の『こころ』にも描かれ、「樋口一葉終焉の地」にもほど近い場所。二階から外を望めば、名作『にごりえ』の舞台をも彷彿させる、かつて、子供たちの遊ぶ声が絶えなかった路地が、向かいの30階建てのマンションとの間に忍ぶように残っています。それはそれで、なかなかお見事な風景なのですね。
 
 実はこの家、私の学生時代の同級生であるNクンのご実家なのです。彼は、還暦を少し前にして「古民家再生」の意を決し、このご実家からエアコン(注)などは付けないままで手を加え、昨年、小石川大正住宅としての再生を行なったわけです。昨日、彼に招かれて、見に行ってきました。N クンの話では、寝転がって窓の外を眺めても、居眠りにも最適だそうですが、まさにその通りだと思いました。なぜか落ちつくのだな。透明なガラス戸ごしに、路地行く見知らぬ人と目と目が合っても、思わず、会釈してしまったり…。しかも、向う(ご婦人)も微笑み返してくれたり…。これ、結構好いじゃん!…なんて思いましたね。
 何云ってるか、わからなくなってきましたが…。

 

 外の黒板塀といい、大正民家のセットなどをわざわざ造るよりも、ナチュラルなこんな場所の方が、まさにリアル。場所柄といい、何かの撮影にも見事に使える場所だと思います。
 今、その南側では、更なる大規模な再開発が始まっています。昭和な町並みがまた、消えようとしていました。 

 

平成28年3月訪問して  作家・壬生 篤

 

 (注) 平成30年10月、夏の猛暑と熱中症、冬の寒さ対策のため1階にエアコンを設置いたしました。

 


古民家再生

建築年は大正初期

木造2階建て(置き石基礎・在来軸組工法)

 古い登記簿によると大正3年と記載。大正12年9月関東大震災に耐え、昭和20年3月東京大空襲をくぐり抜けた。戦後は昭和27年1月深夜の初音町大火災、平成バブルの地上げの嵐による街並み一変にも生き残り、平成23年3月東日本大震災も耐え抜いた建物。築100年を越えた。

 

なお、千川通り出口通路は小石川地区再開発では封鎖する計画もあったが、火災発生時に大切な避難路となった体験をもつ近隣住民が区役所、消防署等に働きかけ存続した。結果、現在でも歩行者が回遊できる路地空間となっている。

 


平成25年 耐震診断

 

評点数値の割には柱の立て付けや開口部の歪みが少なく、また関東大震災だけでなく、2011年の東日本大震災の震度5強程度の地震力を受けているにも関わらず土壁に全く損傷が見られない。これは現在の建物が置石基礎であるために、地震力がダイレクトに入力しないためであった(結果的に免震になった)と思われる。

 


平成27年 耐震&設計、耐震補強工事

 

間口方向の壁は少ないが床面積が小さいため、現在の壁、床、屋根の耐震性能をあげることで開口部を塞ぐ壁をつくらずに建物のよさを残す設計として、建物の耐震性能を高めた。

  

平成27年6月吉日

 

一級建築士事務所 REIKA/NARITA Architects  

 代表者  一級建築士 第296958 号  成田 智昭 

 


このような民家が100年を経過して存在していること自体、非常に稀れなケースである。(「耐震設計検討および耐震工事報告書」より)

 

 関東大震災(大正12年)、東京大空襲(昭和20年)、近隣地域の大火災(昭和27年)、東日本大震災(平成23年)を乗り越えた、築100年を超えて東京都心に残る非常に珍しい狭小民家です。当時の普請レベルは市民のための一般的な民家であり、高いレベルではありません。そのような民家が100年を経過して存在していること自体、非常に稀なケースです。

 

 昭和バブル期には地上げに合い、再開発により、街並みは一変しました。このような木造、外壁板張り、木製建具の民家は、法規制や用途地域の関係から、現在都心では新築で建てることができず、改装でしか実現できないものです。かつては街並みの一部であったこの民家は、残ることで、未来に大正・昭和戦前の面影を伝えます。

  

 再開発により、この民家の周囲には、高層建築物が立ち上りました。日照は望めなくなり、冬の寒さは厳しいですが、夏は都心にありながら木陰の涼しさです。

  

 既存建物の耐震性能は現行基準法では1/3以下でしたが、置石におかれただけの建物であったため、地震力が建物に作用せず、二度の大震災においても倒壊しませんでした。床は抜けていましたが、骨組みは比較的状態が良く、そのまま使用しています。昭和の時代に施された修繕箇所は、すべて取り除き、新築当初の良さを確認した上で、空間の質を高めるために、外壁や庭、塀、照明計画などを行いました。大正初期につくられたであろう、今では珍しい木製建具を修理して再利用しています。当時主流だった手吹円筒法によりつくられたガラスは製造方法が変わってしまったため、現在では入手が困難です。

 

 

平成27年 第3回再築大賞「古民家再築部門」 応募作品 築100年超、東京都心古民家

 

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工事現場風景

請負業者 / 三鷹市  株式会社ハヤマ建設

建築設計・監理/一級建築事務所 REIKA/NARITA Architecs

 

工事期間

平成27年2月6日から6月20日

 

大工の棟梁 飯田さん

電気工事  開沼さん

ハヤマ建設 辻さん、他のみなさん

 

ありがとうございました。

 

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昭和の風景

 

 

 

昭和30年代 住宅前の路地

 

  小学生の通学風景、他

 

 

文京区史写真集へ提供させていただきました。

 

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